過去の法話
大道、長安に通ず
(令和4年 11月の法話)
歴史の中で久しく首都であった長安。
シルクロードを往来するキャラバンはもとより、
教えを求め天竺に旅立つ僧たちも、
教えを伝えるため砂漠を渡ってくる僧たちも
長安を通過しました。
「すべての道は長安に通ずる」は、
文字どおりの意味ともいえます。
もちろんここでは、地図の話としての長安ではなく、
教えそのもの(真実)を指し、大道は
私たちの様々な生き方を指します。
「日々是好日」という言葉。
ここでいう「良い日」は天候でもなく、
また思惑どおりになったことをいうのでもありません。
都合不都合を丸抱えにして「好日」と想い定める。
そこでは人間の都合とは関係なく
過ぎていく時の流れそのものを、
どのように受け止めるかが問われています。
一瞬一瞬、後戻りのきかない現実を生きている。
自分以外のあらゆる存在もまた
「無常」の世界を生きている。
そこに気づくことが、明日の生き方に
つながるのだと思います。