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曹洞宗 随昌院
〒410-2315
静岡県伊豆の国市田京1075-8

過去の法話

禅問答
(令和4年 7月の法話)

落語の「こんにゃく問答」で知られるように、
禅僧の問答には、
訳の分からぬものというイメージがつきまといます。
それは残された様々な語録を読むと、
そこにどのような意味があるのか、
よぼど努力しないと理解できないものが
少なくないからでしょう。

たとえば「挨拶あいさつ」は元来
「挨は積極的に迫ってゆくこと、
拶は切り込んでゆくこと」とされます。
今でも普通に使われる「挨拶」ですら
単なるご機嫌伺いの言葉ではないことを知った時、
問答として記録されることばは、
どれもが当事者がその全身人しんじんをもってする
「やりとり」ということに気づきます。
ちなみに修行の世界は、ことばだけでなく
一挙手一投足にまで及ぶことはいうまでもありません。

そもそも禅問答の背景には、
必死の思いで質問する修行僧と、
それに対峙し指導にあたる師匠との
厳しい人間関係があります。
誰もがブッタと同じ心境を目指し、
そのために身命をす覚悟で問答応酬おうしゅうしつつ
毎日を過ごすのが修行生活です。
毎日切磋琢磨せっさたくましつつ、必死で生きている「私たち」も、
実は修行の身であり、その毎日のありように
たゆまなく取り組むことが大切であることに気づきます。