過去の法話
平常心
(平成30年 11月の法話)
五色霜叢のとき。各地の山々が紅葉に染まるころ、
二十一日は太祖瑩山禅師の降誕会です。
瑩山禅師が二十七歳のころ、師の義介禅師によって説かれた
「平常心」の教えに深く感銘し、大悟されました。
平常心とは、日常生活そのままが仏道にかなっている心のこと。
茶に逢うて茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」
と言い当てたのです。
お茶をいただくときにはありがたくいただく、
食事のときには感謝していただく……。
悟りをも意味する平常心は、決して特別な境地ではなく、
当たり前を当たり前として俯瞰する“真実の世界”なのです。
「水 急 不流 月(みず せわしくして つきを ながさず)」
という禅語を、何気ない喫茶喫班であっても、
日常に流されない”真実の姿”としてとらえたとき、
急流にも流されずに輝く一つの月を見つけることでしょう。