過去の法話
精進心
(平成30年 7月の法話)
大暑炎天のとき。猛暑の季節は体を一層いたわりたいものです。
昔、宝徹禅師が扇を使っていました。
そこへある僧がやって来て、
「風はすでにこの場所に満ちている(風性常住)。
なぜ扇をつかうのですか?」と尋ねます。
師は「君はここに風があると頭では知っているが、
風がない所はないという道理は知らないようだ」と答えます。
「『風がある』と、『風がない所はない』とは、
同じ意味ではないですか」と返しますが、
師は何も言わず扇を使うばかり……。
僧はその姿を見てハッと気づき、礼拝したという話です。
扇はあおいでこそ、はじめて扇となるもの。
たとえ、大切なものがすでに手元にあったとしても、
それを働かせる精進心、つまり努力して用いる心があってこそ、
すべてのものが輝きだすのです。
人が人であるために、仏が仏であるために、精進心は必要なのです。